m6u's blog

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「残念」という言葉が便利すぎて、伝えたいことが伝わらないんじゃないかという危機感

 一頃「残念」という言葉で一世風靡した芸人さんがいたせいか、何かにつけて「残念」という言葉を聞く。
 「残念」には、「満足できない」「心残りする」「惜しいと思う」といった意味を持つとあります。 なまじ音感的に「ざんねん」というのがすぱっと終えて耳あたりがいいとでもいいましょうか、とても便利なんですね。
 最近私はこの「残念」という言葉をなるべく使わずに表現できないかと考えて、一つ発掘しました。
 「残念」に含む意味をかみ砕いてもう少しわかりやすくして、「惜しい」「悔しい」を使い始めています。
 「惜しい」には、もっと深い意味が含まれているようでして、「貴重で失いたくない」「価値のあるものをむだにしたくない」とか「あと一息のところで物事が成就せず残念だ」「ほんの少し欠けたところがあって物足りない」なんていうのは言葉の厚みがあって、伝えたい気持ちが入る気がします。
 「悔しい」にも、「失敗や恥辱を経験して、あきらめたり忘れたりできないさま」というのも、これまた伝えたい気持ちが入る気がします。
 便利すぎる言葉が、ボキャブラリーを小さくしてしまって、そこに込めたい気持ちが入らずに伝わってしまうのが、惜しいし、悔しいと思いませんか?